丸山希が銅メダル獲得|「諦めなくてよかった」野沢温泉から世界へ羽ばたいた27歳の覚醒
2026年2月、イタリア・ミラノ。スキージャンプ女子ノーマルヒル決勝の舞台で、日本の丸山希(北野建設)が輝きを放ちました。
「自分のジャンプを信じて飛ぶだけ」
そう語って挑んだ2本目。向かい風を味方につけた完璧なテイクオフから、K点を大きく越える美しい飛躍を見せ、見事に銅メダルを獲得。 高梨沙羅選手、伊藤有希選手らと共に日本女子ジャンプ界を牽引してきた彼女が、ついに個人種目で世界の大舞台の表彰台に立ちました。
本記事では、SNOWSEARCH編集部が、丸山選手の快挙の詳細と、ここに至るまでの決して平坦ではなかった道のり、そして彼女の強さの秘密を徹底解説します。
ミラノ・コルティナ五輪:銅メダル獲得の瞬間
勝負を決めた「2本目」の修正力
1本目を終えた時点で4位につけていた丸山選手。メダル圏内まであとわずかというプレッシャーのかかる場面でしたが、彼女の集中力は研ぎ澄まされていました。
2本目、ゲートを離れた彼女は、アプローチで低い姿勢を保ち、サッツ(踏み切り)の瞬間に爆発的なパワーを解放。
空中ではスキー板と身体が一直線になる理想的なフォームを維持し、テレマーク着地もビシッと決めました。
「着地した瞬間、歓声が聞こえて『やった!』と思いました。今まで支えてくれた人たちの顔が浮かんで、涙が止まりませんでした」(試合後のインタビューより)
このジャンプにより順位を一つ上げ、悲願のメダルを手中に収めました。
丸山希とは?野沢温泉が生んだ「笑顔のジャンパー」
ここで改めて、丸山選手のプロフィールと経歴を振り返ります。
基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
| 名前 | 丸山 希(まるやま のぞみ) |
| 生年月日 | 1998年6月2日(27歳 ※2026年2月時点) |
| 出身地 | 長野県 下高井郡 野沢温泉村 |
| 出身校 | 飯山高校 → 明治大学 |
| 所属 | 北野建設スキークラブ |
| 特徴 | 明るい笑顔と、空中での安定した飛行姿勢 |
父の影響とスキーへの没頭
丸山選手がスキーを始めたのは、野沢温泉村という雪深い環境と、父・好三郎さんの影響が大きくあります。父もかつてノルディック複合の選手として活躍したアスリート。
幼い頃から雪と触れ合い、自然とジャンプ競技への道を志しました。
飯山高校時代から頭角を現し、明治大学進学後もインカレ等で活躍。そして、日本スキー界の名門・北野建設へ入社し、世界のトップを目指す環境を整えてきました。
苦悩を乗り越えて:怪我とライバルの存在
今回の銅メダルがこれほどまでに感動を呼ぶ理由は、彼女が乗り越えてきた「壁」にあります。
1. 偉大なる先輩たちの背中
日本女子ジャンプ界には、レジェンド・高梨沙羅選手や伊藤有希選手という巨大な存在が常にいました。
丸山選手は常に「次世代のホープ」と呼ばれ続けましたが、代表枠争いは熾烈。世界選手権やワールドカップのメンバーに選ばれても、個人戦で表彰台の中央に立つことは容易ではありませんでした。
2. 怪我との闘い
アスリートにつきものの怪我。丸山選手も左膝前十字靭帯損傷という、ジャンパーにとって致命的になりかねない大怪我を経験しています(2019年)。
長いリハビリ期間、雪上で飛べない焦り。それでも彼女は、筋力トレーニングやフォームの根本的な見直しを行い、復帰後には以前よりも力強いジャンプを手に入れました。
「怪我をした期間があったからこそ、飛べる喜びを再確認できたし、身体の使い方を深く考えるようになりました」
このポジティブな転換力こそが、ミラノでのメダルに繋がったのです。
なぜ丸山希は強くなったのか?技術的視点
SNOWSEARCHの視点で、彼女の技術的な進化を分析します。
- アプローチスピードの向上:近年のトレーニング強化により、助走速度が安定。これにより、踏み切りでのエネルギーロスが減りました。
- 空中姿勢の安定感:丸山選手の持ち味は、飛び出した後の「板への乗り込み」の早さです。以前は風に煽られる場面もありましたが、体幹強化により、横風や追い風でもフォームが崩れなくなりました。
- メンタルの成熟:かつては緊張から硬くなることもありましたが、数々のワールドカップ転戦を経て、「楽しむ」余裕が出てきました。今回の五輪でも、スタート直前の表情は非常に穏やかでした。
次なる夢へ
2026年ミラノ・コルティナ五輪での銅メダル獲得。これは丸山希選手にとってゴールではなく、新たなスタートラインかもしれません。彼女の笑顔は、日本の冬を熱くしてくれました。これからの団体戦、そしてラージヒルでの活躍にも期待が高まります。

